宇和島から大都会・東京に出てきて、第2の故郷はこの神宮のサードベースの横だと思っています。



神宮球場に、ヤクルトファンに旅立ちを告げた岩村

岩村明憲。この男は神宮球場と共に歩いてきた。「叱咤激励をしてもらい、ここまで成長することができました。」
初めて神宮球場のバッターボックスに入った98年、3打数2三振無安打。全く手が出なかったが岩村の座右の名「何苦楚魂」で翌年には11本塁打をマーク。
00年から3年連続でゴールデングラブ賞を獲得するも03年に自身初の故障による長期離脱。しかしこの男は復活し自身の在るべき場所に戻ってきた。
どんなに身体が痛くとも、どんなに疲れが溜まっても、母親が他界したときでさえ岩村は三塁ベースの横にいた。
「やらなきゃいけないことが東京にはある。」岩村はこういう。その後も岩村は神宮球場で打って、走って、守り続けた。
その岩村がついにメジャーへと旅立つ。神宮球場の三塁手が世界に挑戦するのだ。誇り高き何苦楚魂を胸に。